前回まで、フィリピンの講師の方に、フィリピンでの英語教育について聞いた
内容を書きました。
そして、日本の英語教育とはやり方が大きく異なるということがわかりました
ので、今日はその部分を整理してみたいと思います。
■フィリピン人が話せて日本人が話せない理由それはズバリ、教育の仕方が違っているからでした。そして、それがその通り
の結果につながっているのです。
つまり、フィリピン人の多くの人が話せて、日本人の多くの人が話せないとい
う結果です。
日本では、まずは「読める、書ける」ようになるための教育が中心です。
しかしフィリピンでは、まずは「聞き取れる、話せる」ようになるための教育
が中心です。
そして高校、大学へ行ってから、グラマーに力を入れてレベルアップを図るよ
うな進め方になっています。「聞き取れる、話せる」ようになってから、会話
力のレベルアップを図るわけです。
日本の場合、言われた勉強をやるしかない、逃げられない局面の学校時代は、
(逆にものを覚えるためにはもっとも良い環境)「読める、書ける」ばかりを
やります。
中学、高校、大学までの10年間、ずーっと「読める、書ける」だけで、ほと
んど「聞ける、話せる」をやりません。
そして、特に英語を無理してやらなくても良い、縛られなくなった学生時代
以降に、逆に仕事の合間を縫って時間を作り、「聞き取れる、話せる」のため
の勉強をする羽目になります。
こういう、縛られていないときに英語の勉強をするのは、本当に難しいことに
なります。
心から話せるようになりたいと思い、ある程度の覚悟と犠牲を払える人だけが、
話せるようになるのだと言うことなのです。
■話せるようになるには結局、どれだけ自分で文を作ったか、或いは作りながら話したか・・なのです。
間違っていた時は修正をし、正しい文はお手本として記憶し蓄積する。
その繰り返しをどれだけやったかが、結局その人の会話力になっているのです。
それを、小学や中学の逃げられない環境のときに、しっかりとやらされている
フィリピン人は、幸せだと思います。(英語習得の上では)
まずはカタコトでも話せるようになってから、更なる会話力のレベルアップが
図れると思います。カタコトでも話せないのに、会話力がアップするはずはあ
りません。
■英語教育について日本とフィリピンの英語教育で、どちらが正しくどちらが間違っているのかは
わかりません。
しかし英語はコミュニケーションのツールであるという観点で考えると、読み
書きを先行し、聞けず話せない人間を量産している日本の英語教育は、間違っ
ているのではないかと思います。
英語が話せないと悩む人間を、どんどん増やす結果になっているのですから。
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